フォトエッセイ

飾らない着物で歩く、青色のパリ。パリ旅行記①【─Shining Moments:33 ─】

スーツケースに最初に入れたのは、着物だった。行き先はパリ。久しぶりに夫婦揃っての海外旅行だ。着物を着る予定は7日間の現地滞在中ほんの一度きりだが、私にとっては譲れない荷物だった。この旅行で、私は小さな夢の一つを叶えようとしていた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ |Photography by Mai TOYAMA

私のイメージするエフォートレスなパリと鮫小紋

パリはもう冬の気配だった。ソリッドな質感の冷たい風が、マフラーをくぐり抜けて容赦なく頬を刺すが、寒さに弱い私でも不思議と嫌な気がしなかったのはパリの魔法だろうか。今回の旅行、私にとっては初めてのパリ。セーヌ川沿いに続く街並みはどこまでも美しく、私は初日からすっかり魅せられていた。これは世界中の人が恋をするのにも頷ける。

着物を着たのは、3日目の夕方。パリ郊外への観光を終え一度ホテルに戻り、そのあとの予定に備えて着替えたのだった。パリの宿に着物がかかっているのは、なんだか変な感じ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

今回、どの着物を持っていくかでかなり悩んだ。大島か、小紋か、小紋なら大柄小紋か江戸小紋か、はたまな訪問着か?そうして最終的に選んだのは、落ち着いたブルーの鮫小紋だった。

鮫小紋とは、小紋の中でも格式の高い「江戸小紋三役」と呼ばれる柄の一つで、白抜きの点が扇状に集まる細微な模様が特徴だ。これが鮫の鱗のように見えるので、鮫小紋と呼ばれる。

鮫小紋を選んだのは、私が想像するパリにこの着物が似合っていたからだ。「パリ 着物」で検索すると訪問着の写真が圧倒的に多いのだが、私の憧れるパリは豪華絢爛というよりむしろ、シックでエフォートレスなイメージだった。だから、一見無地で、正絹特有のとろっとした落ち感が美しい鮫小紋は、ぴったりだと思ったのだ。格式高いと言いつつ、紋を入れてやっとセミフォーマルに使える鮫小紋は、言うなればお洒落着。着物にエフォートレスを求めるなら、パリジェンヌが着物を着るなら、きっとこの着物なんじゃないだろうか?それもなるべく装飾を排して、シンプルに……お上りさんな私は憧れのパリジェンヌ(日本人ver.)に変身すべく、ワクワクしながら宿で着付けた。

飾らない着物でオペラガルニエへ

この旅に着物を持ってくることで叶えたかった小さな夢とは「海外で着物を着て観劇する」ことだ。向かった先は、オペラガルニエ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

私が着物が好きになったのには、祖母の存在が大きい。着付け教室に通ったのも、今から6年前、私が結婚をするときに祖母が着物を仕立ててくれたことがきっかけだった。

以前の記事でも少し触れたが、そんな祖母のエピソードで、私がずっと憧れていたことがある。それが、祖母がニューヨークのメトロポリタン歌劇場で、着物でオペラを観劇したことだった。当時12歳だった私はその土産話を聞き、なんてカッコいいんだろうと祖母を尊敬した。そしていつかは私もと、小さな夢の一つになったのだった。だから今回の旅行でバレエを観に行くことに決めたのも、現地でバレエを観てみたいというその願い以上に、着物を着て観劇するぞという強い意思があったのだ。

「着物」という時間を愉しむ。【─Shining Moments:18 ─】

しかしオペラガルニエは、自分が何を着ているかも忘れるほど魅力的な建物だった。ネオ・バロック様式の典型ともいわれる華やかな建物、シャガールの天井画「夢の花束」、真紅のビロードによる1900の座席。また演目そのものも素晴らしく、この日は「絶対に揃わないバレエ」で有名なジェローム・ロビンスの振付による公演だったが、時にうっとりするほど美しく、時に涙が出るほど可笑しく、夢のような時間を過ごした。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

着物を着ていることを思い出したのは、公演が終わってからだ。あまりに素晴らしかったのでパンフレットを買うために並んでいると、何人かの方に声をかけていただいた。「こちらに住んでいるんですか?」と尋ねてくださった日本人の方(嵩張らないとはいえ、わざわざ着物を旅に持ってくる物好きは少ないのかもしれない)、そして「キモノとても綺麗ですね」と日本語で伝えてくださった現地の方々。日本文化はやはり世界中で愛されているのだなと、誇らしいような気持ちになる。私はとても嬉しくて、公演の感想を話し合ったあとで、初めてのパリでこの街がどれほど好きになったかを伝えた。

こうして私の小さな夢の一つが、パリで叶えられた。想像していたよりもずっと素敵な時間を過ごすことができたのは、やはりパリの魔法かもしれない。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

青色に染まるパリで記念写真を

そして実はこの日、パリ在住の日本人フォトグラファーMai TOYAMAさんに写真を撮ってもらった。以前からSNSを通じて知っていて、サクソフォニストでもある彼女の写真の大ファンだった。今夏日本で開催された個展で念願叶ってお会いすることができ、それからはMaiさん自身のファンにもなった。その日のうちに秋の旅行で写真を撮ってほしいとお願いした。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ |Photography by Mai TOYAMA

オペラ観劇前の夕刻、パリが次第に深い青色に染まっていく時間。Maiさんと夫と三人で川沿いを歩いたときの音や、風が、タイムカプセルみたいに写真に閉じ込められている。旅先で撮影をお願いするの、とても良いな。次の旅先でもまた写真を残したい。小さな夢が更新された。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ |Photography by Mai TOYAMA

写真を見返しながら、この飾らない着物は正解だった、と思う。私の今回の着物は、青色のパリによく似合っていた。着物に限らず、その場所のことを想像しながら装いを選ぶことは、やっぱりとても楽しい。私にとっては旅の醍醐味のひとつで、きっとずっとやめられないことだ。

旅に連れて行くストール、ファリエロサルティ。想像の景色に赤を重ねて。【─Shining Moments:31 ─】

また旅に出たいな。日本で着物を箪笥に仕舞いつつ、今度はこれもいいなと、別の着物を広げてみたりする。そうして次の小さな夢を、うっとりと想像するのだった。