フォトエッセイ

こころを潤すための買い物【─Shining Moments:05─】

わたしは、どちらかというと、浪費家だと思う。(という濁した言い方は、夫は「浪費家だと思う・・だと?」と怒らせるに違いない)
基本的には「長く愛せるものを少し…」と考えているのだが、3ヶ月に一度くらい、衝動的に買い物がしたくなる。そういうときに買ったものは、大抵ちょっとするといらなくなるので、夫に「フリマアプリで売ってください」とお願いする。売上は手間賃として夫にあげているから、大損である。
某占いによれば、わたしには浪費癖があるらしいので、もしかしたらそもそも星回りのせいなのかもしれない。そう、自分に都合のいい占いは信じることにすると、人生ちょっと楽だ。

だけど、そういう衝動的な買い物って、大なり小なり誰しも経験あるのではないだろうか。特に、ストレスを発散したいとき。このコロナ禍とかもそう。旅行に行けないぶん、お洋服をはじめ買い物にお金を使っている方も多いんじゃないかと思う。ただ、それが新しいストレスを作ってしまっているとしたら、元も子もない。「またつまらぬものを買ってしまった」ばかりでは人生は彩らない。こんなときだからこそ、こころ潤す、何か有意義な買い物がしたいものだ。

最近、人生で初めて、自分でアートを買った。

きっかけは、夫が参加したグループ展。一応彼の広報のようなことをやっているので いそいそと搬入について行ったのだが、私は作業もそこそこに、ある作品に見入ってしまった。

ガラス作品だ。

そのガラスの塊は、中にヴェールのような気泡が閉じ込められている。なんとも言えぬ、涼しげで、ふしぎな雰囲気。わたしはあっという間にそのヴェールの渦に飲み込まれてしまった。ほとんど一目惚れだった。

フォトエッセイ 山田ルーナ

作品の前にぼーっと突っ立っていると、夫が作業を止めて「何してるの」と近づいてくる。これ欲しいなぁと言うと、めずらしく、賛成してくれた。この作品かっこいいよね、部屋に置くといいよ、専用の台座を作ろう。こうしてガラスのオブジェが、夫のお墨付きで家にやってくることになったわけだ。

フォトエッセイ 山田ルーナ

夫が作ってくれた台座。(夫の木工についてはこちらの記事もぜひ『25マスの「お気に入り」』)

オブジェはサイズ感もちょうどよく、所有欲を満たしてくれる。

フォトエッセイ 山田ルーナ

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重たいガラスが、ゴト、と台座に落ち着くと、空間がしゃんと背筋を伸ばしたような気がした。

変な表現だけれど、空気がすっと2度くらい下がるような。部屋が瞬間、しんと、静まるような。それは交響曲が始まる前、指揮者がタクトを振り上げるあの一瞬のような、静粛な時間だった。

ずっと前からそこにあるように、ガラスのオブジェは心地よく部屋に馴染んでいた。

デスクから見える位置の、透明のかたまり。それは無色だけど、これまでの何倍も空間を鮮やかに彩ってくれている。

フォトエッセイ 山田ルーナ

アートを買うということの豊かさを、わたしは身をもって感じた。美術作品なので、安くはない。だけどそこには、お金に変えられない価値があるのだ。きっとこのオブジェのことを、わたしはずっと、愛するだろう。そして、夫の絵もそういう方に届いているんだと思うと、幸せな気持ちになり、マネジメントのお仕事にもより一層気合が入るのだった。

フォトエッセイ 山田ルーナ

お出かけもできず、ついつい余計な買い物をしたくなる毎日だからこそ、一度立ち止まって、買い物のあり方を見つめ直してもいいかもしれない。
先月だったか、女優の石田ゆり子さんが「買い物とは。人にとって必要なエネルギー源であり、心の栄養であり、コミュニケーションであり生きる喜びである。」と言っていたが、そのとおりだ。

こころを潤すための買い物。そういう買い物をこれからもしようと、わたしは、固く誓った。
おそらくこの先半年は、衝動的な買い物をしないはずだ。