フォトエッセイ

祈るとは何か。マティスの〈生命の木〉ロザリオ礼拝堂を訪れる。パリ旅行記番外編【─Shining Moments:35 ─】

むかし夫が住んでいた部屋には、いくつかのポストカードが貼ってあった。

主に美術作品が印刷されたポストカードで、知った作品も知らない作品もあったが、とにかく私はそのチョイスが好きだった。その中でも特に気に入っていたのは、ある抽象的な一枚だ。はっきりとした黄色と青、緑、そして温かい曲線が魅力的で、つい見てしまう。「これ、誰の作品?」「マティスだよ。〈生命の木〉っていうステンドグラスの原画」。当時まだボーイフレンドだった夫はこう続けた。「いつかルーナと見に行きたいなって思ってる」。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

南フランス・ヴァンスのロザリオ礼拝堂へ

昨年、パリに旅行に行くことが決まり計画を立て始めてから、夫にどこに行きたいか聞いてみた。我が家の旅行は、計画を立てるのも諸々の予約も全て私の担当で、夫はそれについてあまり意見しない。だけどこの時、夫はめずらしく候補を挙げた。「できれば〈生命の木〉が見たい。あれフランスだよね?」。

私は困った。〈生命の木〉が嵌め込まれるロザリオ礼拝堂は、南フランスのヴァンスにある。ニースからバスで1時間ほどの場所だ。もちろんパリからはかなり遠く、パリ旅行のついでに行けるような場所ではない。多分、東京から北九州くらい離れていると思う。何も調べもせず好き放題言って、と、ちょっと頭にきて、「そんなの無理だよ」と言いかけたのだが、ポストカードを見ながら夫が「いつかルーナと」と話してくれたことを思い出し、その言葉を飲み込んだ。またの機会ねって見送る選択肢もあったけど、でも「いつか」って、自分で決めないと「今」にならない。うん、そうだな、私も一緒に〈生命の木〉が見たい。そういうわけでヨイショと飛行機を取り、弾丸南フランス旅をねじ込んだのだった。

そうして迎えたパリ旅行の何日かめ。夜の飛行機でニースに向かい、空港近くに一泊。翌日の朝、バスに乗ってヴァンスへ向かった。

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ロザリオ礼拝堂のあるサン・ポール・ド・ヴァンスは、丘の頂上にある城壁の街だ。ローマ時代から続く小さな村で、中世の雰囲気を残す美しい街並みの中、現在も人々が生活をしている。

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バスの終点からは徒歩で、上り坂。この坂が結構ハードで、普通に歩くだけで息があがる。しかも前後一週間でこの滞在日だけが雨。雨というか、大雨。南フランスという言葉のイメージの正反対にあるような気候だった。けれども、せっかく来たのにステンドグラスが綺麗に見えなかったら嫌だな、とは、意外と思わなかった。多分夫も同じ気持ちだったんだと思う。私たちは強く手を取り合って、坂道をぐんぐん進んだ。

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丘を登り切ると、その斜面の道沿いに突然ロザリオ礼拝堂は現れる。といっても、拍子抜けするほど質素。小さな白い建物で、それらしい目印といえば入り口に掲げられるタイル画と、ロザリオだ。(もっとも南フランスらしい真っ青な空だったならもう少し映えるのだろう)

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中は予想していたよりずっと新しく、美術館のよう。入り口すぐのエレベーターと階段を降りると、念願の礼拝堂だ。礼拝堂の入り口には、青い飾りが印象的な白い陶製の聖水盤が据え付けられていて、その横を通り抜けると、黄色と青、緑だけで彩られた素朴な空間が広がっていた。

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ポストカードで何度も見ていたのだが、初めて見たような感覚を覚える。ずっと大きくて、ずっと温かい。雨なのに嘘みたいに光が差していた、なんて奇跡みたいなことは起こらなかったが、じんわりと柔らかい光が、白い大理石の床に優しく滲み、空間全体をしっとりと照らしていた。

教会内部は撮影NGなので、ここには模型の写真を。

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マティスの作った「祈り」、そして2024年

マティスは生涯描き続けた画家だそうだ。身体を悪くしてからも、自分ができる表現を試み続けた。よく知られる切り絵も画家人生後半の表現である。この〈生命の木〉もまた、切り絵画の手法で作ったものだ。

マティスがロザリオ礼拝堂建設に携わることになった背景には、ある一人の女性の存在がある。元々マティスの介護士、そしてアシスタント兼モデルをしていたモニク・ブルジョワという女性だ。彼女はマティスとの親しい交流のあとドミニコ会に入り、一度は疎遠となるが、ジャック=マリー修道女となって再会を果たす。マティスは彼女のヴァンスに礼拝堂をつくるという夢を共に叶えるため、無報酬でこのロザリオ礼拝堂を作り上げたのだった。

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4年の月日を費やし、1951年完成。その三年半後に、マティスは亡くなる。まさに人生の集大成であると言えるだろう。彼のあらゆる制作が、この礼拝堂の建設に生かされている。生き生きとした切り絵は、ステンドグラスや上祭服に。無駄を削ぎ落とした大胆な筆致の素描はタイル画に。平面だけでなく、立体物も。燭台や鐘楼に至るまで、全てマティスの作品なのである。

礼拝堂では実際に、マティスの筆致や細やかなこだわりを感じることができ、彼の芸術は生き続けているのだなと思った。

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マティスはこの仕事を「賜ったもの」と感じ、あらゆる人が受け入れられる場所を目指し作ったそうだ。礼拝堂は祈りの場だが、マティスもまた祈りをかたちにするようにロザリオ礼拝堂を建てたのかもしれない。教会の一番後ろの席で、ステンドグラスを見ながら涙を流している女性がいた。私は涙こそ流さなかったが、過去と、今と、未来の自分のことを、いっぺんに思うような感覚があった。そして自分が生きている世界と、人々のことを思った。後ろの席の女性も、私も、そしてきっと夫も、あの空間で皆祈っていたのだと思う。何をというわけではないが、そうして静かな時間を過ごすことの安らかさを、私はロザリオ礼拝堂で経験した。

その後マティス美術館にも立ち寄り、ニース名物であるソッカを食べて、パリに戻った。「連れてきてくれてありがとう」と夫は言ってくれたが、私もまた連れてきてもらった感覚があった。とても満たされた気持ちだった。

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2024年1月、祈るという行為や言葉の意味について考える時間だった。私はその時間の中で、このロザリオ礼拝堂へ訪れた時のことを思い出していた。

「祈り」とは【心から望む】という意味だそうだ。けれども私は、その意味があまりしっくりこない。私の中でそれは「願う」のイメージに近く、「祈り」とはもっと自分との対峙みたいな感覚がある。それは静かで、優しく、時に無力で、愛と呼ぶ何かにどこか似ている。

祈ろうと考えて祈る人はいないのではないだろうか。けれども私たちは皆、祈っているのではないだろうか。

そんな祈りの存在を知り向き合う時間を与えてくれるのが、礼拝堂なのかもしれない。目を閉じてあの光を思い出して、自分の中にあの時よりも強くある祈りの存在を確かめる。自分は無力で、無力であることを思う。世界の美しさを思う。

今のこの感覚を、忘れないでいたい。私の祈りは黄色と青と緑の色をして、心の中に、ずっとある。

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