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企画展「戦後日本コスチュームジュエリー史」訪問レポート【現地取材】

東急東横線「祐天寺駅」より徒歩7分。
閑静な住宅街にある「アクセサリーミュージアム」。

コスチュームジュエリーを専門に展示を行うこの私立美術館で、1月31日(火)~5月27日(土)の期間「戦後日本コスチュームジュエリー史」展が開催されます。

戦後から2000年代にかけて、日本のコスチュームジュエリーの変遷を体感できる貴重な企画。

当メディアのライターが渾身の現地取材!企画展のレポートをみなさまにお届けします!

企画展「戦後日本コスチュームジュエリー史」について

アクセサリーミュージアム 田中元子館長

2010年、現館長の田中元子氏が設立した「アクセサリーミュージアム」。

田中氏は1960年からコスチュームジュエリー業界に身を置き、まだ日本人の渡航が珍しかった時代から世界を股にかけて活躍。ヨーロッパ製品の買い付けからヒッピーアクセサリーなどの若者向け製品をヒットさせるなど、日本のコスチュームジュエリー史とともに歩みを進めてきた稀有な人物です。

「世相」と「希望」を反映するファッショントレンド。

ファッションと密接な関係にあるコスチュームジュエリーも、同じように波打つ時代を映し出してきました。

ただ、「日本のコスチュームジュエリー」として語られるには文献も資料も少なく、点在するアイテムや事象を結ぶ線がありませんでした。

それらを結び、戦後から現代までの「日本のコスチュームジュエリー史」を立体的に見ることができるのが本企画展なのです。

コスチュームジュエリーがお好きな方だけでなく、ファッション、歴史、カルチャー、クリエイティブワークに興味があるすべての方に必見の展示会です!

それでは、時代ごとの特徴と変遷をたどってみましょう。

戦後日本コスチュームジュエリー、時代ごとの特徴

今回の展示では江戸時代から1930年代にかけての「戦前」ジュエリーも鑑賞できますが、今春に出版される「日本のコスチュームジュエリー史 1950~2000」に沿い、「戦後」のコスチュームジュエリーの変遷をご紹介します。

1940年代 物資不足が生んだ叡智の結晶

第二次世界大戦が終わった1945年。
復興とともにものづくりも新たな流れを生み出しました。

モノを作る材料が不足していたものの、モノがあれば売れるという時代。

素材がなかったからこそ生まれた技術、工夫を見られるのもこの時代の特徴です。

特に「ペーパーマッシュ」は時代を象徴するアイテムといえるでしょう。
素材は紙、そして接着に用いられたのはなんとお米!

同時に今では見られない貴重な技術もあります。陶器製のトシカネジュエリーはその代表例。

外貨を稼ぐため、模造真珠やガラス玉、コットンパールなどのアイテムをアメリカ人を対象に制作・輸出していた軌跡もあります。

着色された象牙のアクセサリーも欧米向けの空気を感じますね。

1950年代 戦後の終わり、「流行」が生まれる時代へ

民衆の生活が上向きとはいえなかった時代は、素材も布や木の実といった自然素材が主に活用されていました。

流行という流行がなく、人気商品の寿命が長く2、3年ほど続くことも珍しくありませんでした。

ジャンルの幅は狭く、全体的に少女チックなデザイン。

雑誌「それいゆ」に影響を受けたペンダントトップもあり、当時は大人向けに作られていたことにとても驚きました。

50年代後半には加工性に長けたアルミニウム、プラスチックが登場。

まだまだ和装も主流であったものの、映画などの影響で流行が起きたりと、ファッションへの渇望は高まる一方。

第一次スカーフブームを呼び、パーツをひとつひとつロウ付けした手作業が光るネックレスなどの凝ったつくり、ミリアム・ハスケルの模造も登場するなど、停滞していた欧米文化への憧憬が芽吹いた1950年代です。

1956年頃には「もはや戦後ではない」と言った言葉が生まれ、好景気のなかでコスチュームジュエリーが定着しはじめました。

1960年代 海外文化が生んだファッションアイコン

貿易の自由化などの影響もあり、海外から様々な舶来品が日本に流入。現代の「流行」に近い概念が若者中心に広がっていった1960年代。

一度狭まったコスチュームジュエリーのジャンル幅が広がり、画期的な技術も誕生。

デザインとしては少女趣味も健在でしたが、大人向けと子供向けが分化し始めた頃でもあったのです。

1967年にはツイッギーの来日ミニスカートが大流行蛍光カラーの装身具など、ポップなアイテムが流行します。

この時代にはいわゆる専任のアクセサリーデザイナーはほとんどおらず、女性向けのものであるにも関わらず、会社内で企画を出す男性達によってトレンド商品が生み出されていたそう。

1970年代 大量消費とストリートカルチャー

貴金属からインポート、コスチュームジュエリーがまとめてデパートの一階に陳列されるなど、装身具全体が注目を集めます。

LOVE&PEACEのヒッピーカルチャーからスマイルバッジが大流行。

現在でも特定のファンからの支持があついエスニックフォークロアのアクセサリーが登場。大ぶりのネックレスはカジュアルなスタイルにとても映えたことでしょう。

またこの頃、子供用装身具としてアニメとのタイアップ商品も展開。現代につながる「キャラグッズ」ジャンルの礎を築いたのでした。

1980年代 稼げる女性が闊歩したバブル経済

女性の社会進出により、贈られるだけでなく自分の稼ぎでジュエリーやアクセサリーを購入することがますますできるようになった80年代。

クチュール系ブランドの認知が高まりをみせました。この頃の三大ブランドは、ルイ・ヴィトン、グッチ、そしてフェンディ。

インポートの人気が継続する一方、日本のコスチュームジュエリーのデザイン性も向上。

チェーンのデザインも豊富でイヤーフックなどの主張あるアイテムも続々登場。素材も現代的な印象を与える金属製、ラインストーンといったテイストへシフト。

ヨーロッパ流のアーティスティックな姿勢だけでなく、アメリカ流の「機能的」「生活密着」といった視点もコスチュームジュエリー選びで重要な要素となりました。

1980年代後半にはバブル景気を飾るコスチュームジュエリー、渋カジに合うインディアンジュエリーなどが人気に。

1990年代 若手の凋落、「Kawaii」の台頭

バブルが弾け、経済が落ち込みを見せるなか「アユ」や「アムロちゃん」といった、カリスマ性を携えた人物がブームに。

しかし、それ以降のブームはなく、ファッションに影を落とすかと思いきや独自のスタイルをもつ「コギャル」が登場。

アパレルブランドではココルルやミジェーン、アルバローザが一斉を風靡。

アイテムは有名ブランド風のコピーやベアーモチーフが市場に出回りました。

携帯ストラップネイルアートをはじめとして、装うことの概念が拡張し始めたのもこの時代の特徴といえるでしょう。

デコレーションするという意味合いの「デコる」は当時の若者にとって欠かすことができず、ラインストーンやビジューといった素材は、どんなアイテムにも添えられていたほど。

2000年代~ インターネット時代のはじまりと進展

インターネットの登場と普及によって、ファッションの広まり方も変化していきます。

1999年には2割程度だった日本のインターネット利用率は、わずか10年で約8割へ。

通販やライブ配信、コミュニティ作りといったオンラインサービスを提供者側もユーザー側も気軽に利用できるようになりました。

装身具の購入も実店舗以外にネット、イベントなど多岐にわたる好みの販売チャネルから選べるように。多くの人が自分らしさや差別化を求めるようになった結果、大きな流行の波は生まれにくくなりました。

実際に使用されていた作業机

そして十数年の時を経て、今回のコロナ禍。これからのファッションや装う喜びを模索する機運とともに、コスチュームジュエリーへの注目も高まっています。

今後、ファッションとコスチュームジュエリーがどのように私たちの生活に関わっていくのか。
その洞察には歴史を学ぶことも大きな意義があります。

駆け足で各時代をご紹介しましたが、実際に作られていた「モノ」一点一点の迫力や愛おしさ、リアルな質感やデザインの変遷は、やはりぜひ現地に行って体感していただきたいもの。

皆さまにとっても発見の多い企画展であること間違いなしです!

POINT

  • 江戸時代から2000年代までのコスチュームジュエリーを立体的にみることができる「戦後日本コスチュームジュエリー史」展
  • 日本の戦後コスチュームジュエリーの変遷と時代ごとの特徴もチェックできる
  • ファッションやライフスタイル、様々な角度からコスチュームジュエリーの魅力に触れられる

じつはこの企画展では、田中氏がはじめてデザインしたアイテムも展示されています。

もともと農業に興味があった田中氏が、本格的にコスチュームジュエリーの業界に身を置くきっかけとなったアイテム、ぜひ探してみてくださいね。

日本のコスチュームジュエリーがこの規模で一堂に会する展示は、この先十数年見られないかもしれないとのこと!

ぜひ会期中に足を運んで、新しいきっかけを得たり、コスチュームジュエリーやファッション…「装うこと」全般との向き合い方を見つめ直す機会としてみてください。

【アクセス、展示の詳細に関しては公式HPをチェック!】

アクセサリーミュージアム ACCESSORY MUSEUM 公式HP

 

【関連書籍「日本のコスチュームジュエリー史 1950~2000」田中元子 (著)】