フォトエッセイ

春だから花柄を着たいとかそういう単純な【─Shining Moments:13 ─】

母の勧めで、というか母が珍しく大笑いしているのを見て、そんなに楽しいものならと、TBSラジオのPodcast番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』を聴き始めた。

母は「40、50代にならないと面白さ分からないかもよ〜」と言っていたけれど、これがもう、本当に面白い。聴いている方いらっしゃいますか?

おばさんという言葉を、私はとてもポジティブに捉えている。あれは、経験を重ねた女性だけが得られる、いわば称号だ。夫、親、友人に恋人、子供…様々な相手をとおして自分を知り、酸いも甘いも噛み分けて、毎日をたくましく生きる女性たち。良いなぁ、と思う。

しかしまあ、番組風に言うなれば、アラサーの私はまだまだ“おばさんの卵”で、おばさんについて実感をともなって語ることができるものを、少しも持ち合わせていない。

だけど最近実は、私も年取ったなと、嬉しく感じる出来事があった。今回は、そんな話をしたい。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ひと月前、ちょっと大掛かりな断捨離をした。もうすぐ春だし、持っている服を、この機会に整理・把握しようと思い立ったのだ。

いつもは「もう1シーズン様子を見よう…」などと考えたりもするのだけど、今回は、結構たくさん手放した。こういうモードに入ったときの私は、容赦ない。夫が「自分も捨てられるんじゃ…」と口に出して不安がるほど、思い出があるものでさえポイポイ切り離す。

結局、衣装ケース2つ分くらいかな、サヨナラをして、私のワードローブはずいぶんスッキリした。
イメージしていた大豆田とわ子のワードローブにはまだ程遠いけど、シャッシャッと、以前よりは軽快にハンガーを滑らせることができるようになって、とても気持ちがいい。

そんなこんなで、ちょっと身軽に迎えた今年の春。
(…まだ3月なのに「迎えた」と書いたのは、数日前にチューリップの花束をもらって、その時春がきたと感じたからだ。季節の移り変わりは自分ルールでいい)

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ここ数日あたたかくなって、気分が急に春になったのは、私だけじゃないはず。
もうニットなんて、暗い色なんて、着ていられない!シャツや色物を着なくっちゃ!そんな衝動に駆られる。

そこでシャッシャッと、見やすくなったワードローブを眺めていて、私は気がついた。
花柄とかピンクとか、20代前半にはあまり着なかったお洋服が、あの冷酷な断捨離魔人(私)の手を逃れ、残っている。
きっと潜在的な「好き!」の気持ちが、意図せず残したのだ。これから着る機会が増えるのだろうなと、予感めいたものを感じた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

今日はこれを着ようと、花柄の服を、手に取った。
ビンテージショップで買ったスプリングジャケット。

そのときの自分の心にあったのは、春だから花柄を着たいとかそういう単純な何かだった。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

むかし私は、花柄が苦手で、ピンクも苦手だった。
多分それは、花柄を着ている自分のイメージが、ピンクを着ている自分のイメージが、どこかこそばゆかったのだ。どう思われるかが、自分が何を着たいかより、よっぽど重要だった。

いま大人になって、いや、あえて言うならば“おばさんの卵”になって、そんな邪な気持ちはどこかに消えてしまった。
思考がシンプルになっている。そしてそれを春風みたいに、爽やかに、気持ちよく感じる。

花が咲いてるから花柄、桜を思い出すからピンク。
そんなシンプルな思考を楽しむことを、私はこの歳になって初めて覚えたのだ。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

そういえば、友人から「遅めの桃の節句会しよう」と誘われて、来週会う。まだアラサーといえども もう“おばさんの卵”な我々が、桃の節句に今さら何をするわけでもない。ただこれがちょっと笑える話なのだけど、その愛らしい行事の名前にかこつけて、ピンクのドレスコードで会うことになっている。

こんなイベントを本気で楽しめるのも、年を重ねたからかもしれない。
よーし、思いっきりハッピーな格好で行くぞ〜。林家パー子さんみたいでもいいじゃないか。自分がそれを着たいなら、道ゆく人に振り向かれたっていい。

だって季節は、こんなにも気持ちの良い春なのだから。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ