フォトエッセイ

ふたつ一緒って、いい。2年ぶりの模様替えと矢合直彦作品。【─Shining Moments:29 ─】

毎日ほんとうに暑い。暑くて敵わない。こうなってくると外に出かける気持ちもなくなってしまうもので、私は自宅で行える仕事ということもあり、この頃自然と家で過ごす時間が増えてきたのだった。

自宅で過ごす時間が増えると、自宅でできる愉しみを片っ端から探し始める。それもできれば この夏をかけて長期的に取り組めるものがいい。そうして私は、もっとも面倒で 時間が(お金も)かかる愉しみをチョイスした。およそ2年ぶりに、部屋の模様替えだ。

ゼロヒャク思考?いつだって0か100かな私。

2年前に書いたこの記事を、読んでくださった方はいるだろうか。「25マスのお気に入り」というタイトルで、前回の模様替えについて書いたエッセイ。夫が作った大きな棚を、お気に入りの小物や本で埋めた話だ。

25マスの「お気に入り」【─Shining Moments:03 ─】

今回の模様替えはこの時以来なわけで、彼曰く「突然の再燃」。確かに、しばらく落ち着いていたのに急に火がついてしまった感じはある。それも0か100かな私は、始めたらとことん。大掛かりな模様替えの予感だ。

予感だと書いたのは、実はこの模様替えを まだ全然終えていないから。今回はリビングスペースだけでなくお部屋全体の模様替えなので、先に書いたとおり夏をかけて長期的に取り組むつもりでいる(イギリスのアンティーク食器棚も来週届く!)。

だから模様替えを終えた話はまた改めてしたい。今日はこれから、模様替えの最中に気がついたあることについて書いてみようと思う。

模様替えで、さらに愛せるようになったもの。

我が家は夫婦そろってマキシマリストだ。しかも収納スペースが少ないため インテリアとして見せるしかないので、物の多さがより目立っている。ごちゃっとした印象は否めない。だからこその、今回の模様替え。テーマは空間の緩急。物がぎゅっとしているところはぎゅっとさせて、見せたいものには空間を与えてあげる。

そこでまず手をつけたのが、先の「25マス」。沢山の本たちをこの25マスに敷き詰めて、これまで書棚として使っていた備え付けの棚を、かわりにお気に入りを置く場所にしてはどうだろう?ゆったりした棚なので、物を置いたら映えるような気がした。

そうして配置を変えていく中で、私は ある陶芸作品の愛らしさに、改めて虜になった。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

矢合直彦さんの、ロバとクマ。

矢合直彦さんという陶芸作家さんの大ファンだ。温かい表情のどうぶつたちの陶芸作品は見ているだけでも癒されるし、その絶妙なサイズ感、重さは、たまに抱き上げて確かめてみたくなるような魅力がある。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

我が家にはロバとクマの矢合直彦作品がいる。出会ったのは、たしか4、5年前。友人が展示していたためふと立ち寄った画廊で、常設展示されていたロバに夫婦そろって一目惚れした。

ブルーのボディに、楽しそうな絵。私たちはこのロバにサーカスと名付けて(私は色々なものに名前をつけるタイプの人間)その日のうちに連れて帰った。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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そしてそれから1年も経たずに、今度は矢合直彦さんの個展で同じくらいのサイズのクマを購入。こちらはグレーのボディに柔らかな花が描かれていて、名前はフラワーにした。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

しかし家に迎えたはいいものの、最適な置き場がない。それぞれ玄関に置いてみたり、棚に置いてみたり。けれども どこに置いても、個々の魅力を生かしきれていない気がする。そうしてなんだか落ち着かないまま、今日まで来たのだった。

そして今、この模様替えのタイミングで、棚のひとつにサーカスとフラワーを並べて置いてみた。すると、驚くほどしっくりくる。サーカスを追いかけて歩く、フラワー。しっかり者のサーカスと、おっとりしたフラワー。兄妹みたいなその様子が、とっても愛らしい。

今までよりずっと、これらの作品を好きになった私がいた。ふたつ一緒だからこそ、ストーリーが広がっていく。空間にぽん、と 一緒に置かれるだけで、サーカスとフラワーは今までよりもずっと特別な存在になっていた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ふたつ一緒が、やっぱりいい。

ふたつ並んだ様子を見て、ふたつ迎えてよかったなと、改めて思うのだった。一緒に置けてよかった。ふたつ一緒って、なんだかとっても心が温まる。

もしかすると私はそこに、私たち夫婦を重ねているのかもしれない。我が家は二人暮らし。だから、ふたつ一緒であることに とても意味がある気がするのかも。

来週は食器棚が届くので食器も片付け始めているのだけど、そういえば ここにも「ふたつ一緒」が沢山あった。

マグカップが並んでいる様子は、特に大好きだ。一緒に住む前それぞれ使っていたイッタラ ティーマ。最近一緒に買ったミナペルホネン。彼が気に入って使っていたのをいいなと思っていたら、お土産で買ってきてくれたDAISAK作品。友人の結婚式で、私がピアノ演奏、夫がウェルカムボードを描いて、そのお礼にといただいたファイヤーキング。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

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どれも、ふたつ一緒がしっくりくる。並んでいる様子だけで、ひとつよりもずっとストーリーが広がっていく気がする。特別な朝や夜の記憶や、未来が、この景色にはあるのだ。

食器棚が来たら、ふたつ一緒に並べよう。サーカスとフラワーみたいに、眺めるたびに、ふたつ一緒であることを幸せに思えるだろう。

二人暮らしって、一人でいたい時と一緒にいたい時のバランスが大切だと思う。互いに一人で平気だけど、でも二人一緒がいい。サーカスとフラワーみたいに、向かい合ってばかりいなくても大丈夫なのだ。矢合直彦さんの作品のように、私たちはそれぞれ別物でありながら、でも一緒にいることでより魅力的になりたい。どちらかが引っ張ったり、向き合ったり、そんなふうにしながら、いつの日の朝も夜も、私たちはふたつ一緒のマグカップで珈琲を飲む。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ふたつ一緒って、ふたり一緒って、やっぱりいいな。模様替えの最中、そんな小さな気づきに思わずニヤリとしながら手を止めていると、すかさず夫は「ちゃっちゃと動く」と私を叱るのだった。