「子どもの頃に家で使っていたオーナメント、できたら持っていってくれない?」
そう母からメッセージが送られてきたのが先月のこと。
掃除をしていて、クリスマスオーナメントが入った箱を見つけたらしい。懐かしくて愛おしいものだけれど、子どもが成長したいま 使い道もないし、倉庫に眠っているよりはということだった。
子ども時代のクリスマスの記憶というのは、多くの人にとって幸せな思い出だ。
ケーキ、プレゼント、ツリー、そして家族の笑顔。私もやはり懐かしい高揚感を思い出し、喜んで引き受けることにした。
そんなこんなで、思い出のオーナメントが我が家にやってきたのだけど、私はちょっぴり困っていた。夫と猫と暮らすこの家に、大きなクリスマスツリーはないのだ。
「オーナメントだけあってもね」そう言う私に、夫がアイデアを出す。「アムステルダムキングに飾ったら?」
我が家には、アムステルダムキングという大きな観葉植物がいて、私たちはこの木を「年中クリスマスツリー」と呼んでいる。以前〈イッタラ〉で購入したガラスのオーナメントを、常にいくつかつけているのだ。季節感のない涼しげなガラス玉は、インテリア的にもおしゃれで気に入っている。
そんなアムステルダムキングを、クリスマス仕様に さらに飾り付けようということだった。
確かに、この木に飾ったら映えるかもしれない。熱帯アジアの木。とてもクリスマスっぽくはないけれど、そのアンバランスさがまた面白い。
そうと決まればと飾りを選んでいると、今度は夫が別の箱を持ってきた。
そこには、自分たちで買ったオーナメント。
バンコクの〈NaRaYa〉で購入したクリスマスオーナメントが記憶に新しい。確か、2019年。このコロナになるギリギリ前の海外旅行で、蒸し暑いクリスマスを過ごしたのだった。
|タイ・バンコクのクリスマス(2019)
タイでのクリスマスの思い出話などしながら、飾り付ける。
暑いクリスマス。そのわりには雪の結晶など”冬っぽい”飾り付けがされていて、日本人の私たちにとっては とても不思議な感じがした。現地の人は「雪なんて見たことがない」と笑っていたけれど、やはり街中の雰囲気は浮き足立っていて、世界の人に平等にやってくるクリスマスの幸せについて思ったことを、よく覚えている。
実家から受け継いだオーナメントを触りながら、懐かしいクリスマスの話もする。
弟と争奪戦だった、ちょっと大きめのトナカイ。
トナカイに比べて頼りなさそうで、おっちょこちょいな感じのサンタクロース。
このプレゼントがボロボロなのは、今は亡き実家の愛犬が噛んだから。
捨てられなかったんだな、いや、捨てずにいたんだなと、愛犬がいた幼い頃の家族を記憶をあたたかく思い出しながら、母の選択を想う。
夫と話したいことや、聞いてほしいことが次から次へと出てきて、途中でコーヒーを淹れたりしながら、ゆっくりゆっくり、飾り付ける。
そうして完成した、ちょっと(だいぶ?)ヘンテコなクリスマスツリー。
眺めながら私は、子ども時代には味わうことのなかった気持ちになっていた。
なんていうのかな。
生きてきたんだなぁというのを、しみじみ思う、みたいな感じ。
このツリーには、子ども時代の私がいて、大人になってからの私がいて、そして今の私がいる。とおいクリスマスが、ぜんぶ一緒に詰まっている。
クリスマスオーナメントは、タイムカプセルみたいなものかもしれない。
いつでもあの頃に戻ることができて、そして いまを閉じ込めて、次に繋いでいける、タイムカプセル。
そのタイムカプセルに触れれば、一年の最後に、これまでの人生を振り返ることだってできる。
私はクリスチャンではないし、クリスマスってほんとうは関係ないものなのかもしれないけど、そんな時間を過ごすためだけでも、ツリーを飾り付けるということを ずっと続けていきたいと思った。
我が家のヘンテコなクリスマスツリーは、この先どんな意味をもつようになるだろう。
この時期が明けて、旅行へ行けるようになったら、きっとオーナメントを買おう。
私はいま、あの子どもの頃みたいに、ワクワクしている。
Wishing you a Merry Christmas!
皆さまにも、どうか すてきなクリスマスがやってきますように。
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芸術大学卒のフリーランスライター。AJINOMOTO PARK 主催の投稿コンテスト、新しい働き方LAB主催の書きものコンテストなどで、エッセイ入賞。ピアノ講師でもあり、画家の妻としての一面も持つ。ここでは、暮らしのなかで見つけた 美しさ にまつわるエッセイをお届けします。