なんていうのかな。愛の記憶みたいなものがあるジュエリーを、皆ひとつは持っているんじゃないだろうか。恋人に贈られたものとか、母に譲られたものとか。そういうジュエリーは、身につけるたびに あたたかい気持ちになって、装飾以上の効果をもたらしたりする。
私にとってのそれは、父から贈られたティファニーのパールのピアスだ。
私の実家は、ごく一般的なサラリーマン家庭だった。子どもらには習い事も遊びも思い切りさせてくれたので、あるいは余裕があるように映っていたのではないかとも思う。しかし実のところ、母は 私のピアノという習い事のために(月謝やコンクール参加費云々…相当な出費だ)、家計のやりくりにとても苦労していた。たぶん父も、わずかな小遣い制だったんじゃないだろうか。
のびのびと育ててもらったことには感謝しかない。思い返せばあまり物をねだったこともなかったが、我が家にはいつでも笑顔があったし、私はそれで十分だった。
ほんとうに余裕のある家庭というものを知ったのは、音楽科の高校に入ってからだ。なんせ音楽科は、いわゆる お嬢様も多い。家の規模とか、乗ってる車とか、身につけるものとか、自分の常識と違いがあることに、ふとした会話の中で私は気がつく。
芸術大学に進学してからも、それは変わらなかった。物がなくても満ち足りていたはずなのに、おしゃれをしたい年頃になり、ないものにばかり意識が向いてしまう。ブランドのバッグや、宝石、レースのワンピースに、ティーンの私が羨ましい気持ちを持たなかったと言ったら、嘘になるだろう。
まあそう言いつつ、ピアノに音楽に とことん一生懸命、ついでにバイトも遊びも楽しんだ10代。「私は私」なおしゃれも覚えて、ついに迎えた20歳のバースデーのことである。
我が家のお誕生日はホームパーティが常だが、20歳のお祝いということで、その日はレストランで家族揃って食事をしていた。おいしいフレンチ、楽しい会話、初めてのお酒。そしてデザートのプレートが運ばれてきて、いよいよハタチかぁと感慨深く思っていると、父が私に、ブルーの紙袋を差し出したのだ。…ブルー?いや、ティファニーブルーの紙袋だった。
「20歳のお誕生日おめでとう」
それは、父が内緒で用意してくれた、パールのピアス。
聞けば、会社帰りに何度かティファニーへ足を運び、娘の成人にと相談して選んでくれたということ。この頃帰りが遅いと思ったら、そんなことをしてくれていたのか。父は続けて、「せっかくなら大きい方がよかったかな、身長を考えて小さい方にしたんだ」と言った。途端私は、このお買い物に父が使ってくれたすべてのものを想像して、なんだか涙が出てきてしまった。なんて愛されているんだ。
父に何か装飾品を贈られることは、それが初めてではなかったが、それがティファニーで、ほんものの真珠だということは、やっぱり私の胸に刺さった。初めてのティファニー。初めての宝石。父はおしゃべりで陽気だけれど、よく人のことを見ていて、実はとても繊細な人。ティファニーのパールのピアスは、私のことを誰よりもよくわかっていて、愛し育ててくれたから父だからこその、特別なプレゼントだと思った。
パールは、月の雫とも呼ばれるらしい。誕生石ではないけれど、月を意味する名前をもつ私にはぴったりの宝石だ。その上品で控えめな愛らしい光に見合う女性にならなければと、私は20歳の日に、小さなパールに約束した。
それからというもの、カジュアルなシーンもフォーマルなシーンも、このパールは私の強い味方だった。(もっとも父は演奏の舞台で身につけてほしかったらしいが。)そうだ、結婚式でも身につけた。
私のパールのピアスには、パパに愛された記憶が詰まってる。それはきっとこの先のどんな時にも、私を勇気づけるだろう。
なんだか家族愛的な内容になってしまったけれど。パールを誕生石にもち、そして父の日がある6月。「ありがとう」を込めて、こんなエピソードを思い返してみた。
父の日には、ハタチを祝ってもらったあのレストランに、両親と夫とで行く約束をしている。
私は、ティファニーのパールのピアスを身につけるつもりだ。
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芸術大学卒のフリーランスライター。AJINOMOTO PARK 主催の投稿コンテスト、新しい働き方LAB主催の書きものコンテストなどで、エッセイ入賞。ピアノ講師でもあり、画家の妻としての一面も持つ。ここでは、暮らしのなかで見つけた 美しさ にまつわるエッセイをお届けします。