YMSビザという、いわゆるワーキングホリデーのような制度で、ロンドンに来た。人生で初めての海外暮らしをしている。
30歳でビザを申請し、31歳で渡英。世間ではこれを「ギリホリ」と呼ぶらしい。ギリホリとはギリギリのワーキングホリデーの略である。日本人の場合、多くの国が、ワーキングホリデーの申請期限を31歳の誕生日までと定めているので、なるほど確かに私はギリホリに当てはまっていた。
ただ、私はこの言葉のどこか焦燥的な響きを好きになることができない。期限ギリギリという意味ではそう呼ぶこともできるかもしれないが、私は何かに追われるわけでも何かを追いかけるわけでもなく、ただなるがまま、あるがままに、日常の延長としてここにいるように思う。
ヒースロー空港に到着したのは、約一ヶ月前。新天地に降り立ち笑顔で空を見上げるようなシーンを漫画やドラマでよく見かけるが、私の気持ちは不思議なほどフラットだった。まるでそこが最寄駅のように、ごく日常的な光景に見えた。達成感の象徴として笑顔で空を見上げるようなことを、そういえばしていない。
ただそれは、無感動というのとも違う。日本にいるときと同じく、ささやかで小さな感動が、ここでも変わらずに私の世界を満たしている。それは言い換えれば、私は日本でも旅先と同じくらい、多くのものに感動できていた、ということなのかもしれない。
以前、海外に留学している友人に、「あなたみたいな人は海外の方が生きやすい」と言われたことがある。そういうものかな、とその時は思ったけれど、いまは少し、その意見に反対したいような気持ちもある。
もちろん、職業や家族の事情で日本の方が生きやすい人、海外の方が生きやすい人はいると思う。けれども結局はどこにいても、どのような自分で生きていくのか、それが一番大切なのではないだろうか。
何かを見るのは自分であり、他の誰でもない。景色は見せてもらうものではなく、自分で見出すものなのだ。私が見るビッグベンや、ロンドンバスは、ガイドブックには載っていなかった。そしてそれが、本当の世界なのだと思う。
環境に依存するのではなく、自分が環境をつくっていくような感覚を、私はここで改めて大切に感じている。
ここでもやはり、日々は小さな感動やときめきにあふれていて、それらは人生や性格を劇的に変えることはしないけど、私をあたたかい気持ちで満たしてくれる。
部屋の隅に降り注ぐ西陽。歩いていて出会う花の匂い。走っているときに他のランナーと交わす笑顔。ほんの小さな喜びが、ここでも私の日常を作り続けているのだ。
「Shining Moment」という連載タイトルにしましょう、とヒカリモノガタリ編集部の方に決めていただいて、ここまで49記事を書かせていただいた。これが50記事めで、そして最後のエッセイになる。
締めくくりに何を書こうかと考えて、最初から今まで変わらない、私がずっと大切にしていることを書きたいと思った。つまり、地球のどこにいても、小さな輝く瞬間は、自分自身の中にあるということだ。
自分の目で何かを見る、美しさを見出す、というまなざしは、たぶん皆がそれぞれに持っているものだと思う。
読者の皆さまの毎日も、それぞれの素敵な「Shining Moments」で満たされますようにと願う。それは誰にも邪魔できない、自分だけのものであるはずだ。
しばらく私はロンドンで生活をする。「Shining Moment」を、日本からマイナス8時間のこの場所で、これからも変わらずに集めつづけていく。
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芸術大学卒のフリーランスライター。AJINOMOTO PARK 主催の投稿コンテスト、新しい働き方LAB主催の書きものコンテストなどで、エッセイ入賞。ピアノ講師でもあり、画家の妻としての一面も持つ。ここでは、暮らしのなかで見つけた 美しさ にまつわるエッセイをお届けします。