フォトエッセイ

我が家の定番「読むバレンタインデー」【─Shining Moments:11 ─】

2022年がやってきました。本年もお付き合いいただきますよう、皆さまどうぞよろしくお願いいたします。

さて、お正月ムードも終わり、街は次なるイベントに姿を変えつつある。

仕事柄 家にいる時間が長い私にとって、デパートのショーウィンドウや催事の広告、コーヒーチェーンの限定メニューは、季節を教えてくれる存在。私はいつも「もうそんな季節か~」と驚いて、そして慌ててイベント事の準備をする。

今の時期は、節分と、それからなんといってもバレンタインデーだろうか。

バレンタインデー。

このスペシャルな日に思い出がない方は、きっと少ないだろう。甘い思い出も、苦い思い出も。それらはチョコレートの香りと一緒に、きっと冬の記憶の一部になっている。

私にとってもそう。バレンタインデーというイベントが本来「愛を確かめ合う日」で、海外ではむしろ 男性が女性に花束を贈ったりすると知ったときは ちょっとがっくりしたけれど、やっぱり渡すドキドキって嫌いじゃない。

小学生の頃好きだったサッカー少年。周りの女の子がキラキラした箱に入ったチョコレートを用意したり、手作りするなか、手の込んだことをするのがなんとなく恥ずかしくて、サッカーボールチョコあげたなぁ。ネットに入ったやつ。むんずと掴んで、「はい」って。

これを書きつつ、我ながらその可愛げのなさに笑ってしまう。

それでも赤面してくれたKくん、ありがとう。あなたの記憶も私のバレンタインデーの引き出しにあります。

さあ、イメージを取り返すべく、ここ数年のバレンタインデーの話をしたい。

今の夫と付き合い出してから、私はこのイベントに参っていた。

彼は確実に私よりも料理上手で、日常的にお菓子を手作りしていたし、そして高級なチョコレートを喜ぶタイプの人間ではなかったのだ。

最初こそ手作りのクッキーを渡したのだけれど、どうもそれは、正解ではない。喜んではくれたけど(多分)、自分の中でしっくりこない。

そうして翌年から、私の試行錯誤は始まった。

靴下。

アンダーウェア。

お弁当箱。

だけど、どれも、なんだか違う。

何かを渡したい気持ちは本当だけど、それは何でもいいわけではなく、「バレンタインらしい」何かを渡したいのだ。

そんなある年、書店に行ったときのこと。

絵本コーナーに、私は ある一冊を見つけた。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

『どんなに きみがすきだか あててごらん』

今でも覚えているんだけど、バレンタイン迷子だった私は、このとき雷に打たれた。見た瞬間に思いついたのだ。これをバレンタインデーに渡したら、とっても可愛いんじゃないかな?

そうして贈ったこの絵本が、我が家の最初の「読むバレンタインデー」。

それからというもの、バレンタインデーがくるたびに、私は夫に本をプレゼントしている。

最近は絵本に限らず、詩集なども。うつくしい お菓子箱みたいな装丁の詩集や、詩人が夫に宛てた作品集など。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

どれも「バレンタイン」らしいメッセージ性があって、とっても気に入っている。

そして毎年、裏見返しには、メッセージと日付を。恥ずかしいのでお見せしませんが、これも大切な「バレンタイン」要素です。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

あと、これは余談なんだけど、夫が ある年のホワイトデーに渡してきたのが、俵万智『チョコレート革命』。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

ご存じの方も多いと思うけれど、不倫を思わせる作品が多いこの短歌集。

夫はこの本を読んだことがなかったようで、これをもらったのは何ともシュールだったけど、これも良い思い出として残っている。

本の見た目は、確かにバレンタインデーにぴったりだった。

ジュエリー エッセイ 山田ルーナ

これが我が家の、定番バレンタインデー。

今年も本をあげようと、お正月を脱皮した街の様子を眺めつつ、私は心の隅で思う。

よかったら皆さまも、「読むバレンタインデー」いかがですか?

舌じゃなく脳で味わう甘さ、おすすめです。